チョウゲンボウ
( 長元坊 )
Falco tinnunculus
Kestrel
L=♂33cm ♀38cm W=69〜76cm

( 名前の由来 )









名前の由来については諸説あるが

数年続く凶作のため飢餓で苦しんでいた村に、 旅の僧 「 長元坊 」 がやってきた。
僧は人々の苦しみを目にすると、村を見下ろす岩山に登り中腹の岩棚に座して祈り始めた。

二日たっても三日たっても戻ってこないので、
村人は食物を持って 「 長元坊 」 を訪ねたが頭を振って受け取らない。
何度訪ねても同じで僧は日に日に痩せ、骨と皮ばかりになって祈り続けていた。

やがて3人の村人が河原で亡くなっていた 。
横には 「 長元坊 」 様に届けてほしいと、わずかな食物が置いてあった。
命に代えて 「 長元坊 」 様にすがり村人を助けてほしいとの最後の望みだった。

悲しみの中で村人たちは、岩山に向かい長老たちのことを告げた。
その途端、 「 長元坊 」 の身体は大きく揺れ、そのまま崖底へと真逆さまに落ちていった。

翌年は村が始まって以来の大豊作に恵まれ喜び賑わった。
村はずれの4つの墓にもたくさんの供物が備えられお参りの人が絶えなかった。
やがて秋になって、作物の出来を確かめるように畑の上に停飛している鷹がいた
それに気付いた村人たちは、その鷹をいつしか 「 長元坊 」 と呼ぶようになった。

こんなのも

南北朝時代、 高師直の部下に長元と言う坊主がいた。
茶色に黒の斑模様の派手な僧衣を着た破戒僧であり、

反道徳的、権力的思考が強く、乱行狼藉も多い、所謂「ばさら」と呼ばれる人物であった。
一方で背丈が低く、ばさらへの反感の強い京都の人々からはその身長の低さを嘲笑されていた。

元は乞食であったらしく、道端でネズミやモグラを捕まえては生のまま食べたという話も伝わっている。
この長元に背格好やネズミを食べるなどの行動が類似していたためチョウゲンボウと言う名がつけられた。

ちなみにその長元という僧侶は師直と高一族が足利直義らによって粛清された際共に殺された 。


更にはこんなのも

冬の田園地帯にヒラヒラと舞うチョウゲンボウ 。
名称だけを聞くと、いったい何のことだか分からないほどインパクトのある種名ですが

小型のハヤブサの仲間の野鳥なのです。変わったその名は、漢字では長元坊と書きますが、
由来は諸説あるようです。一説では、ある地方でトンボ(主にヤンマ)のことをゲンゲンボーと呼び、

チョウゲンボウの飛ぶ姿をヤンマの飛ぶ姿と重ねて、鳥ゲンゲンボーから鳥ゲンボー、
読み方を変えてチョウゲンボウ、となったとも言われています。


そんで

オスの頭の毛が青灰色でお坊さんの剃った頭の色に似ており、
長元と言う名のお坊さんに似ているので、「長元坊」と名付けられたといわれているとか 。


またまた

「長元」とは平安時代の年号(1028ー1037)
幼少で即位した後一条天皇を暗に「長元坊」と称しており
この名を小型のタカの名としたのだろうか 。


さてさて本当のところは ?